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「美空ひばり節」考(未完)

2008年1月8日(火)晴
 すでに使われなくなってしまった言葉を「死語」という。だとすれば、すでに使われなくなってしまった語音(構音・調音)を「死音」と言ってもよいかもしれない。私は、ここ数年来、流行歌手の「語音」が気になってしかたがない。「ガ・ギ・グ・ゲ・ゴ」と文字表記される「語音」は、「岩盤」(ガ)「銀世界」(ギ)「愚者」(グ)「玄関」(ゲ)「胡麻豆腐」(ゴ)など「語頭」にあるときは「閉鼻」状態で構音するが、「長い」(ガ)「銀河」(ガ)「なぐさめ」(グ)「道具」(グ)「嘆き」(げ)「散華」(ゲ)「名残」(ゴ)「卵」(ゴ)など「語中・語尾」にあるときは「開鼻」状態で構音する。いわゆる「鼻濁音」である。この「鼻濁音」が「死音」になりつつあるのではないか。かつての流行歌手、邦楽の唄い手のほとんどは、この「鼻濁音」を常用していたと思う。(例外・ディック・ミネ、広沢菊春)「流行歌の女王」といわれる美空ひばりの魅力は、この「鼻濁音」の美しさにあった、といっても過言ではないだろう。「いつかまた会う、指切りで、笑いな(が)らに、別れた(が)」(「悲しき口笛」)の「ガ」が「鼻濁音」だからこそ、彼女の歌声は澄みわたるのである。しかし、最近の流行歌手はこの「鼻濁音」を常用することができない。あるフレーズでは「開鼻音」(鼻濁音)なのに、別のフレーズでは「閉鼻音」になってしまう、といった粗雑さが目立つ。都はるみは、「寝化粧」の「ゲ」を「鼻濁音」で歌えるのに、「おんなごころ」の「ゴ」は「閉鼻音」になってしまう。(「北の宿から」)極端な例では「涙の連絡船」、「汽笛が、汽笛が」と何回か繰り返される「ガ」が、その時によって「開鼻音」になったり「閉鼻音」になったり、という状態なのだ。実にもったいない話である。その他、森新一、五木ひろし、八代亜紀、石川さゆり等々、例を挙げればきりがない。流行歌の真髄が「歌詞」にあるとすれば、この「鼻濁音」を常用できるかどうかが歌手の「実力」(歌唱力)を見極めるポイントになるのではないかと、私は思う。洋楽では、もともと「鼻濁音」は「死音」に近いので、そのような問題は論外だが・・・。
昔、綴った「雑文」(未完)を思い出した。

詩人サトウハチローは,少女時代の美空ひばりを評して「化け物」といったそうだが,まさに美空ひばりの芸術は「化け物」のそれに他ならなかった。当時の子どもたちは,川田孝子,古賀さと子,小鳩くるみ,松島トモ子らの童謡をレコードやラジオで聞かされて育っていたのであり,美空ひばりの流行歌などを楽しむことは御法度であった。美空ひばりといえば,もっぱら劇場や映画の中で中年の大人を相手に,濡れ場のB・G・Mなどを唄っていたのからである。(松竹映画「鞍馬天狗・角兵衛獅子」<昭和26年>の挿入歌「京の春雨」は逸品である。)
笠置シズ子は自分の持ち歌を美空ひばりの方が巧みに唄うので,共演を嫌がったということだが,少女時代の美空ひばりは当時の流行歌手の持ち歌を本人以上にうまく唄いこなすことができた。松竹映画「悲しき口笛」<昭和24年>の中で唄う「湯の町エレジー」は近江俊郎の作品に優るとも劣ることはない。
美空ひばりの最高傑作に「りんご追分」<昭和27年>だとか「悲しい酒」<昭和41年>,「哀愁波止場」<昭和35年>,「お祭りマンボ」<昭和27年>,「波止場だよお父つぁん」<昭和31年>などを挙げる人は多いが,「角兵衛獅子の歌」<昭和26年>や,「流れのギター姉妹」<昭和27年>,「娘船頭さん」<昭和30年>を挙げる人が少ないのは何故であろうか。
思うに,美空ひばりは「今,この一曲」に全存在を賭け,全力を傾けて唄う歌手であった。したがって,「美空ひばり節」はどの作品をとっても,最初の吹き込み(初盤レコード)の出来映えを超えることができなかったのである。いいかえれば,「美空ひばり節」はどの作品をとっても「この一曲」(初盤レコードなど)にしか存在し得ないものであり,以後の作品はその亜流でしかなかった。たとえ本人が唄ったものであれ,吹き込み当初とは比べものにならないほど色褪せたものになってしまうのである。通常の歌手が「この一曲」を歌い続け,次第に光り輝く作品に仕上げていく(例・「別れのブルース」・淡谷のり子)のとは対照的である。
美空ひばりにとって「歌は命」であり,しかもそれは最初に唄う「この一曲」以外には考えられなかったのだと私は思う。ときおり,テレビの歌謡番組などで,昔の持ち歌を唄うことはあったが,それはもはや「歌の抜け殻」でしかなかった。リクエストされて,「越後獅子の歌」「悲しき口笛」「東京キッド」などを唄うことがあったが,吹き込み当初の作品を知る者(私)にとっては,耳をふさぎたくなるほど興醒めな作品でしかなかった。そのことは,誰よりも美空ひばり自身が感じていたに違いない。だからこそ,彼女は「角兵衛獅子の歌」や「流れのギター姉妹」「娘船頭さん」をあまり唄わなかったのではないか。その結果,そうした作品があることを知らない人が増え,最高傑作に挙げる人が少なくなっているのではないか。
注目すべきは,「美空ひばり節」は少女歌手「美空ひばり」の誕生とともにすでに完成していた,という点である。詩人サトウハチローが看破したのは,まさにこの一点に他ならず,わずか十二,三歳の少女が中年男女の色恋をみごとなまでに描ききるからこそ「化け物」に違いないのである。山の手に生活する文化人やその子弟の多くは「気持ち悪い」という反応を示して拒絶した。川田孝子の「みかんの花咲く丘」の方がよほど上等の文化だと感じていたに違いない。
美空ひばりは,中年になってからも「ひばりちゃん」という愛称で親しまれたが,それは彼女がとりたてて可愛かったからではあるまい。「東京キッド」「悲しき口笛」「あの丘越えて」「たけくらべ」「伊豆の踊子」など,出演映画の映像を見ても,子どもらしいあどけなさや,娘らしい初々しさはあまり感じられず,浮浪児や芸人の哀愁が漂うばかりである。したがって,美空ひばりを「ひばりちゃん」と呼んだのは,同世代の少年少女などではさらさらなく,戦後の下町で復興に夢を託した商人,庶民感覚の成人男女に他ならなかった。「貧しさ」こそが「美空ひばり節」の根幹であった筈なのである。
「美空ひばり節」の命は彼女の「声音」である。「七色の声」と評された時代もあったが,彼女の母親も見抜いていたように,「美空ひばり節」の真骨頂は彼女の「地声」である。デビュー当時から,彼女の「地声」は大人の「地声」に近かった。というより,「九段の母」や「東京ヴギウギ」「湯の町エレジー」を唄っても,少しも不自然さを感じさせず,むしろ大人の声よりも魅力的な響きをもった「声音」だったのである。彼女の持ち歌に即していえば,「越後獅子の歌」「角兵衛獅子の歌」「悲しき口笛」「東京キッド」はすべて「地声」である。努力家の彼女は「山が見えます,ふるさとの」の「が」,「わたしゃ,越後へいつ帰る」の「ご」,「笑いながらに,別れたが」の「が」などを鼻濁音で唄うのを忘れない。この共鳴が彼女の「地声」をより鮮やかにしていることは言うまでもない。さらに言えば,この「地声」は彼女の成長(変声期)とともに微妙に変化しはじめる。高音部が「地声」では出しづらくなったのであろうか,「お祭りマンボ」の「そーれそれそれお祭りだー」という一節あたりが,彼女のもっとも魅力的な「地声」の最後であったように思われる。珠玉の名品「流れのギター姉妹」や「娘船頭さん」では,明らかに「裏声」で高音部を唄うようになった。彼女の母親はその「裏声」を嫌ったといわれているが,「子どもはいつまでも子どものままでいてほしい」という親心のあらわれであろうか。いずれにせよ,「美空ひばり節」は,高音部を「地声」で唄えなくなった時点で終焉を迎えることになったのである。かつて評論家竹中労は美空ひばりを「中性歌手」と評したが,「裏声」を制限された美空ひばりには,思う存分に「女性」の歌を唄ううことができなかったに違いない。
美空ひばりの「地声」は,成人するとともにますます「太く」「低く」なり,男唄は「地声」,女唄は「裏声」でという安易な使い分けが始まる。以後は,かつての栄光に支えられただけの,並の流行歌手になりさがってしまったのである。最高傑作といわれる「悲しい酒」などは断じて「美空ひばり節」ではない。後輩の都はるみや韓国の女性歌手文珠蘭などの方が,はるかに感動的に唄いこなすことができることを銘記すべきである。「ある女の詩」(昭和47年),「花と竜」(昭和48年),「時雨の宿」(昭和57年)などは,晩年の「美空ひばり節」といえなくもないが,場末の大衆演劇の舞踊ショーでしか聞くことができない作品に過ぎない。
さて,美空ひばりの芸風は,デビュー以来ほとんど変化していないという点にも注目しなければならない。「美空ひばり節」がすでに完成した形で誕生したように,彼女の演技力もすでに完成した形で芸界(銀幕)に登場した。というより,彼女の演技力などは初めから皆無に等しく,声と同様に「地」のままで芝居をしていたという方が正確かもしれない。映画「悲しき口笛」では「チビ」と呼ばれる子ども役を演じていたが,竹中労のいうようにその性別は判然としなかった。以後,松竹映画「鞍馬天狗・角兵衛獅子」,東映映画「ひばりの森の石松」「ひばり十八番・お嬢吉三」「ひばり十八番・弁天小僧」「天竜母恋笠」など性別不明の役どころは枚挙にいとまがない。新東宝映画「競艶雪之丞変化」では,男女取り混ぜて三役を演じ分けているほどである。これも彼女のプロデューサーであった母親の好みであったことには疑いないとはいえ,戦後庶民の男女を問わないニーズに応えようとした試みに他ならない。戦後庶民は,完成された「美空ひばり節」を唄う一芸人の「地」の姿を,映画という場面を借りて「のぞき見」していたのである。したがって,映画作品として耐えられる作品を強いて挙げるとすれば,美空ひばりが「地」のままでも演じられる内容のものであり,「東京キッド」「悲しき口笛」そして「伊豆の踊子」あたりであろうか。その他の作品は,戦後娯楽の作品として「なつかしい」程度の感動しか呼ばない,色褪せたものになってしまった。庶民は当時の「ひばりちゃん」を見て,それを楽しんでいた過去の自分の姿に感動しているのである。
美空ひばりの「中性的芸風」はどこに起因するか。彼女の母親の要求を別とすれば,浪曲師広沢虎造と瓜二つであることに注目すべきである。「美空ひばり節」の真骨頂はその「声音」にあるが,その節回しは浪花節そのものに他ならないのである。(未完)(1984.6.22)
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