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幻の名曲「哀愁の駅」(松山恵子)、幻の名随筆「和っちゃん先生」(マルセ太郎)、加えて駄作「男はつらいよ・考」

2008年2月17日(日)晴
一日中、家。午前11時頃、ラジオ(NHK)から、魅力的な流行歌が聞こえてきた。その題名は「哀愁の駅」、唄っているのは松山恵子である。彼女の代表歌は「お別れ公衆電話」「だから言ったじゃないの」など、振られた女の「せつない」怨み節だとばかり思っていたが、まさに「幻の名曲」に値するのではないか。歌詞の中に「10時45分」とか、(大阪駅ホームの)「11番線」とか、「数字」が盛り込まれ、それをいかにも「手慣れた」小節で唄いこなす松山恵子の歌唱力にあらためて感動した。津村謙には「流れの旅路」、ディック・ミネには「愛の小窓」、渡辺はま子には「雨のオランダ坂」、トミー・藤山には「ほんとにそうなら」、五木ひろしには「霧の出船」、北島三郎には「加賀の女」、都はるみには「おんなの海峡」、そして美空ひばりには「流れのギター姉妹」など、大きなヒットをしなかった「幻の名曲」と呼ばれるものがある。松山恵子にも「幻の名曲」があったのだ。
 「日本の名随筆・芸談」(和田誠編・作品社・1996年)読了。私自身の「煩悩」のため、「芸人風情が随筆なんて十年早い」と思いながら、徳川夢声、山本嘉次郎、五代・古今亭志ん生、團伊玖磨、藤原義江、黒澤明、美空ひばり、嵐寛寿郎、芥川比呂志、六代目・三遊亭円生、野村万作、高峰秀子、二世・尾上松緑、森重久弥、加藤武、池部良、マルセ太郎、小沢昭一、山下洋輔、立川談四楼、吉田日出子、鴨下信一、岩城宏之の芸談を読んだ。八木正生、井原高忠、黒柳徹子、長嶺ヤス子、倉本聰の作物は、読まなかった。 功を遂げ、今や「有名人」となった芸人の談義には、とかく下積み時代の苦労話や、途上における自慢話がつきもので、鼻持ちならない。この書物の中、でただ一編、素晴らしい作物があった。それは、マルセ太郎の「和っちゃん先生」という随筆である。「和っちゃん先生」とは、知る人ぞ知る「日劇ミュージックホール」の座長格の芸人・泉和助(父は陸軍大将、日本の敗戦時に自決)のことで、彼を師と仰ぐマルセ太郎との交流が、さわやかな筆致で描かれている。苦労話も、自慢話もない。ただひたすら「和っちゃん先生」の類い希なる実力と芸域の広さが述べられているだけである。なかでも「まず教わったとおりにやれ」という一節に、私は感動した。<コメディアンたちは何度も出番があって、結構忙しい。一回しか出番のない僕は、それがうらやましかった。何かの景が終わって楽屋にコメディアンたちが戻ってきたとき、その中のSが、和っちゃん先生に、厳しく叱られていた。怒るところを見るのは珍しいことである。いつも誰彼なしにジョークを連発して陽気に笑っていたから、側にいた僕は、自分が叱られているかのように緊張した。事情は、Sが演技に迷って、和っちゃん先生に工夫を質ねたらしいのだが、Sは教わったとおりにやらなかったのである。Sの弁解は、その工夫は和っちゃん先生だからできることで、自分には向かないと判断したからだと言う。「だったら何故俺に訊いたのだ。簡単に、何でもかんでも相談するんじゃない。いったん教わったら、まず教わったとおりにやれ。お前な、道を訊いてだよ。その角を右に曲がれと言われたら、ともかく右に曲がるだろう。それで見つからなかったら、今度はお前の判断だ。初めっから右に曲がらなかったら、教えてくれる人に失礼じゃないのか」真理である。僕の周りにも、やたら教えを乞う芸人たちがいた。そういう連中に限って、ほとんど教えをきいてない。自信のある芸人は滅多にひとに訊かないし、何かを指摘されたら、ちゃんと後日それを芸に生かしている。>
 現役時代、私もまた職場で同様の経験をしている。近頃では、大衆演劇を見聞した感想を各劇団の座長に送付しているが、彼らは文字通り「何かを指摘されたら、ちゃんと後日それを芸に生かしている」のである。 
 また、こんな一節もあった。<ある晩舞台がはねた後、上機嫌の和っちゃん先生がみんなに、これから飲みに行こうと声をかけた。僕はわくわくして、そんな中に交わることのできる自分が、いかにもプロの芸人になったような気分だった。コメディアンの一人が、彼は割合売れていて、といっても、その頃はラジオだが、「すみません、NHKの録音取りがありますので、僕は失礼させていただきます」早々と帰り支度のできた彼は、そう丁寧に断って行きかけるのを、和っちゃん先生は呼びとめた。やさしく笑いながら。「そういうときはな、(小指を立て)これが待っていますので、と言うんだよ。ハイ、行ってらっしゃい」このときのことは強く印象に残っていて、忘れることがない。芸人仲間への粋な心遣いを教わった。>
さらに、<日劇ミュージックホール時代の和っちゃん先生は、脂ののったときでもあったが、いまいうところのメジャーではなかった。僕でさえ、日劇に出るまでは全く知らなかったから、一般には無名である。(略)何かの時に和っちゃん先生は言ったことがある。「俺が先生と呼ぶのは、榎本のおやじを除いて、森川のおじちゃんだけだ」「男はつらいよ」の初代おいちゃん、森川信のことである>という一節もあった。そして、<昭和四十五年(1970)二月二日、和っちゃん先生は、誰にも看とられず、独り逝った。五十歳だった。何と、僕とわずか十四歳しか離れていなかったのである。そしていま、僕は和っちゃん先生の年齢をはるかに越えている。>という終章。
マルセ太郎の芸談は、終始「和っちゃん先生」について語りながら、あくまで控えめに自分自身を(「和っちゃん先生」のおかげ自分の現在があることを)語っているのである。まさに「文は人なり」、彼の品格の高さを窺わせる「名随筆」であった。
 「煩悩」の塊である私自身は、今日もまた懲りずに「森川信」という名優の名前を聞い
て、昔綴った「雑文」を思い出した。

「男はつらいよ」考
 もともとヴォードヴィリアンだった渥美清を,国民的な俳優に仕立て上げたのが映画「男はつらいよ」のシリーズであったが,そのことで渥美清は本当につらくなってしまったのだと,私は思う。浅草時代の関敬六,谷幹一,テレビ時代の平凡太郎,谷村昌彦らと同様に,渥美清はスラップ・スティック・コメディの喜劇役者であってこそ光り輝く存在であった。映画「男はつらいよ」は48本作られたが,テレビ時代に比べて出色の作品は少なかった。その要因はいくつか考えられるが,一言で言えば,製作関係者が第一作の大当たりを契機に興行成績を優先したことであろう。人気が続く限り,車寅次郎は,渥美清が死を迎えるまで死ねなくなったのである。生きることは,いつ終わるともわからない演技を続けることだといえなくもないが,それが仕事となれば男でなくても「つらいよ」と溜息がでてくるのは当然である。
テレビの「男はつらいよ」の原題は「愚兄賢妹」という人情喜劇として企画された。やくざなテキ屋稼業の愚兄・車寅次郎(渥美清)の行状を,賢妹・さくら(長山藍子)が物語るという形で展開する,どちらかといえばスラップ・スティック・コメディに近いできばえであった。
いうまでもなくドタバタ喜劇は,複数の役者の集団演技によって組み立てられる。渥美清の演技力は,周囲の役者に因るところが大きいが,特に車竜造役・森川信の存在は大きかった。ヴォードヴィリアンとして卓越した風格の森川信に比べれば,渥美清の演技などは,まだまだ「駆け出しもの」のそれでしかないのである。渥美清と「殴り合い」を演じて様になるのは,森川信をおいて他にいない。というより,渥美清は,森川信という大先輩の胸を借り,その懐に育まれて初めて車寅次郎という人物を演じることができたといっても過言ではないだろう。渥美清は,森川信の前だからこそ,自分の演技力を思う存分,十二分に発揮できたのだと思う。「馬鹿だねえ,あいつは。本当に馬鹿なんだから」と,竜造が受け止めてくれたからこそ,寅次郎は本当に馬鹿ができたのだ。
映画の時代になっても,森川信が出演する作品までは,渥美清の演技力は精彩を放っていたが,竜造役が松村達雄,下条正巳になったとたんに全く消沈してしまった。つまり,寅次郎の「柄の悪さ」「品のなさ」を受け止め,ある種の風格へと昇華してくれる人物像がいなくなってしまったのである。テレビ作品の第一作で,森川信の竜造は,寅次郎が連れてきたテキ屋仲間と深夜までどんちゃん騒ぎを続け,挙げ句の果てに「後家殺しの竜」とまで口走って,おばちゃん(杉山とく子)にひっぱたかれるのである。
そういえば,おばちゃん役の杉山とく子も出色であった。おばちゃんは決して聡明ではないし,庶民特有の計算高さも身に付けている。単なるお人好しではないのである。うらぶれた下町のおばちゃんの,一見いじわるそうで実は憎めない,一本気な女性像を杉山とく子は鮮やかに演じていた。だからこそ寅次郎は,そうしたおばちゃんの前でも,遠慮なく馬鹿ができたのである。
テレビでは,家を出てから十余年ぶりに寅次郎が柴又に帰ってきたとき,おばちゃんは顔を直視しても,寅次郎が誰だかわからなかった。しかし,映画のおばちゃん役・三崎千恵子は,帝釈天のお祭りの雑踏の中で,何の苦もなく寅次郎を見つけだすことができた。聡明という他はない。三崎千恵子のおばちゃんには,杉山とく子のような毒気がない。根っからのお人好しなのである。まだ森川信がいる間はともかく,竜造役が変わってからは寅次郎の「柄の悪さ」「品のなさ」に付き合ってくれる役者は消滅し,ドラマの中だけでなく渥美清の「つらさ」は倍増したに違いない。
同じことは,テレビのさくら役・長山藍子,映画の倍賞千恵子,博(士)役・井川比佐志,前田吟についても言える。結論すれば,前者は「影」「大人」「夜」のイメージ,後者は「光」「青春」「太陽」のイメージとでもいえようか。
長山藍子,井川比佐志の演技には,どこか思わせぶりな「影」(秘密)の部分があった。しかし,倍賞千恵子,前田吟の演技は,直情径行であり,全てをさらけ出しているように感じる。言い換えれば,映画のさくらと博は,「健全」そのものなのである。彼らもまた,聡明であり,毒気がない。
映画を見た人たちから,車寅次郎は不感症ではなかったか,という感想を聞いたことがあるが,そうではないと私は思う。車寅次郎は本人も言うとおり「あても果てしもない」渡世人の生活をしているのであって,「不健全」そのものに他ならない。その生活をリアルに表現すれば,鶴田浩二,高倉健らが演ずる任侠映画の世界と変わらなくなってしまう。車寅次郎のマドンナ以外との濡れ場などは「絵」として不要だっただけである。「殺したいほど惚れてはいたが,指も触れずに別れたぜ」と唄うだけで十分であった。テレビ時代にあった,「影」「大人」「夜」のイメージは払拭され,渥美清は,存在するはずのない,健全なやくざ「フーテンの寅」を独りで演じ続けなければならなかった。
森川信が出演しない映画作品の中で,唯一,秀逸の作品があった。「男はつらいよ・霧にむせぶ寅次郎」である。筋書きそのものは,他と同様のパターンであるが,テレビ時代にあった「影」「大人」「夜」のイメージやドタバタの場面が,わずかに表れていたのである。マドンナは,フーテンの風子(中原理恵),その愛人がオートバイサーカスのトニー(渡瀬恒彦),他にも関敬六,谷幹一,津坂匡章(後の秋野大作),美保純など役者はそろっていた。
どこが秀逸だったかと言えば,マドンナ・風子の「柄の悪さ」「品のなさ」が,一時ではあるが,寅次郎と真っ正面から対立し,虚飾に満ちた健全ムードをぶちこわした点である。場所はとらやの店内,竜造の口利きで風子の就職先も決まった,風子はトニーに別れ話をつけに行くという,寅次郎は「あいつのところだったら行くことはない,さっき話をつけてきた」といって風子を止める。風子はカチンときた。「頼まれもしないことをどうしてしたのか,寅さんとは関係ない」といって寅次郎を責める。寅次郎は「関係ない?」と言って言葉を失った。おいちゃんも,おばちゃんも「寅ちゃんはあんなに心配していたんだから,関係ないはないだろう」と寅次郎に助け船を出した。風子は,頭に来た。「じゃあ,私とトニーが話し合ってはいけないと言うんですか」寅次郎は,わかったように風子をたしなめる。「話し合ったってしょうがないじゃないか,あんな遊び人と」その言葉に風子は激昂した。「遊び人だったら寅さんだってそうでしょう,渡世人同士だって,さっき言ったじゃないか」寅次郎にはもう返す言葉がない。さくらに取りなされて,風子は本当の気持ちをうち明けた。「トニーはだらしなくて,甘えん坊でやぶれかぶれ,そんなことはわかっている,でも私さえちゃんとしていればいつかはきっと帰ってくれる,そう思ってつきあっていたんだよ」
風子の,この気持ちを誰も責めることはできない。なぜなら,他ならぬさくら,おいちゃん,おばちゃん,そして博たちが日頃寅次郎に抱いている気持ちと瓜二つのものであったからだ。健全な博がつぶやいた。「こんな悲しい結末になるなんてなあ・・・。」もはや寅次郎の出る幕は完全になくなったのである。
実を言えば,この少し前に,寅次郎がトニーに話をつけに行く場面があった。場所はトニーが寝泊まりしている安アパートの近く,ビルの谷間を流れる汚れた運河の船着き場,ショーの失敗で骨折した左腕を吊りながら,トニーがやってくる。寅次郎は言った。「用件はわかっているだろうな,ズバリ言わしてもらうぜ,手を引いてもらいてえんだ」トニーの表情が変わった。「女のことで他人に指図されたくなんかねえな」,柄の悪さではトニーの方が上であった。寅次郎ははしかたなく談合を試みる。「お互いに渡世人同士じゃないか,こっちの気持ちもわかるだろう」「あの子(風子)は苦労して育ったからな,どこか無理しているところがある。やくざな女に見えるけど,本当はそうじゃない,まともな娘だ,所帯をもって,子どもを生んで,幸せになれる娘だ,そう思わねえか」トニーは言った。「二十歳の若造ではありませんからね,それぐらいのことはわかっています,だけどね,東京についていくといったのは,あの子の方なんですよ」寅次郎は謝った。「だからこそ,こうして頭を下げて頼んでいるじゃねえか,頼む,この通りだ。」トニーはニヤリとして捨てぜりふを吐いた。「アニさん,見かけによらず,純情ですね,ジャ,ゴメンナスッテ」その場に立ち尽くした寅次郎は,静かに頭を垂れるだけだった。
この時,映画「男はつらいよ」シリーズは終わったのだ,と私は思う。テレビ時代から車寅次郎が売りにしていた「柄の悪さ」「品のなさ」は,トニーという渡世人(渡瀬恒彦)の登場によってもののみごとに粉砕されてしまっていたのである。
とらやでの風子との悲しい結末は,そのだめ押しに過ぎなかった。
筋書きは,例によって健全路線に修正し,風子の結婚式へと進む。北海道・養老牛温泉で行われた式場近くの森の中で,熊も登場するスラップ・ステップ・コメディ風に大団円となる。
それにしてもトニーという渡世人はどこへってしまったのだろうか。渡瀬恒彦の演技は森川信と肩を並べるほどの風格をもっていた。映画「男はつらいよ」シリーズに登場する人物の中で,トニーほど「影」のある,崩れた,破れかぶれのキャラクターは存在しなかったのではないか。例の任侠映画の人物がいきなり登場してきたようなものであった。だからこそ「男はつらいよ・霧にむせぶ寅次郎」は秀逸なのである。映画のシリーズの中では,紅京子(木の実ナナ),リリー(浅丘ルリ子),ぼたん(太地喜和子)など,寅次郎と同類の人物も登場していたが,彼の「柄の悪さ」「品のなさ」を,ある種の風格まで昇華させることができた役者は皆無だった。さらに風子とトニーという渡世人の登場によって,車寅次郎の風格は見るも無惨に引きずりおろされたのである。 しかし,映画「男はつらいよ」シリーズの製作関係者は,そのことに気がつかなかった。だから,もう出る幕のない車寅次郎を,延々と,俳優・渥美清の寿命が尽きるまで,退屈な舞台に登場し続けさせたのである。合掌。
(2003.5.7)







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