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永井荷風の死に方

2008年(63歳)1月1日(火)・晴
 永井荷風は、79歳まで独居生活を堪能し、単独死を遂げた。その日まで普段通りの生活を続け、前日には行きつけの鰻屋(「大黒屋・千葉県市川市)で「カツ丼」と燗酒1合を食したという。老後の生活として「見事」という他はない。誰の介護も必要とせず、「寝たきり」にもならず、自分の始末ができなくなった時が同時に「臨終」をむかえる時であったことに驚嘆し、脱帽する。私自身もそのような生活をめざしたいが、そんなことがはたして可能だろうか。
 今年から、虚礼の年賀状は止めることにした。死ねば(虚礼でなくても)当然止めることになるのだから、その前に止めた方がよいと思った。生きていることを寿ぐことに異論はないが、「冬蜂」にとっては「日にち毎日」が元旦ということであり、「さすりゃあ」1年365日、年賀状を出さなければならないことになる。そうだ、今日頂戴した年賀状への返信は、その気になったとき衷心からしたためることにしよう。
 永井荷風は「断腸亭日乗」という日記を残した。関係者によれば「珠玉の価値」があるということだが、それは彼自身の「生き方(死に方)」が「珠玉」であったからであろう。私の日誌には「石ころ」ほどの価値もない。通常、日記というものは備忘録として、自分のために誌す(その読者は自分自身に他ならない)ものだが、それが文学作品として出回ることは少なくない。はたしてその筆者は自分以外の読者を想定しているのだろうか。「鍵」(谷崎潤一郎)は夫婦の「日記体」小説であり、お互いの日記を相手に読ませないために施錠するという形をとりながら、実は、その鍵を盗用して相互に読み合うことを想定している。「書く」という行為は、「思う」ことを前提としているが、その「思い」が文字として顕在化する以上、自分だけが読者ですまされる筈がない。だとすれば、日記もまた、自分以外の読者を想定したフィクションにならざるを得ないだろう。事実、「ゴミくず」に等しいこの日誌も虚構の産物である。これまで私は日記というものを書いたことがなかった。永井荷風は「断腸亭日乗」を40余年に亘って書き続け、それを小説化の拠りどころにしたという。私の場合、そのようなことは思いもよらず、さしあたっては、とりあえず「心に浮かぶよしなしごとを、そこはかとなく書きつく」ることに終始するだろう。それを極言すれば、あることないことを取り混ぜて、「日にち毎日」嘘八百を並び立てるということであり、そうした生活が今後のライフワークになることは間違いない。
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