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東京山谷ドヤ街・「男たちの死」

2008年11月2日(日) 晴
 午後10時から「ETV特集」(NHK3チャンネル)視聴。新聞では〈東京・山谷ホスピス最後を生きる▽孤独な高齢者が迎える安らかな死▽笑顔と涙・ふれあいの日々〉(東京新聞)と紹介されていた。山谷のドヤ街で生きてきた「男たち」が「高齢化」し、孤独な晩年を送っている。その様子を見聞した「一人の男」(「閉じこもり」「鬱症状」の経験者)が「明日は我が身」と感じて設立した施設・「希望の家」での「人間模様」が描かれていた。そこは、孤独な高齢者にとって「終焉の地」、入所者のほとんどが「病」を抱え、「死」と向かい合っている。いわば「死ぬための家」とでもいえようか。施設のスタッフは、「安らかな死」を遂げさせようと、できるだけ本人の希望に沿ったケアを心がけている。当然のことながら、「余計な延命治療」「余計な介護」は行わない。体力が衰え、食欲もなくなり、自然に「衰弱死」する方法を「支援」しているのだと思う。そのプロセスが克明に描出されていたが、天国へ旅立つ「男たち」が、山谷のドヤ街といったイメージとは裏腹に、たいそう清潔、安楽な「臨終」を迎えている様子に感動した。昔から「せめて畳の上で死ね」とか「畳の上の往生は覚束なかろうぜ」とか言われるように、今でも、畳の上で死ぬことが「極上の死」とされているようだが、ドヤ街では、その反対に「行き倒れ」「野垂れ死に」「孤独死」「事故死」といった「変死」が、「通常の死」とされているようである。いつ、どこで、どのような「死に方」をするにせよ、人間が「動物」であるかぎり、「死」は「動物として死ぬ」(呼吸が止まる)他はない。そのことが「苦痛」であるかどうか、本人でなければわからない。瀕死の「男」にむかって、看護師の女性(施設長の妻)が声をかけていた。「よくがんばったね、もうすぐ楽になるよ。もうすこしだよ。もうすこしで天国に行けるよ」、まさにその通り、「男たち」にとって「死」は「生きる苦しみ」から解放される「至福の世界への旅立ち」でなければならない。このような(「点滴」「人工呼吸」「心臓マッサージ」などとは全く無縁な)「自然死」こそ、昔から行われてきた「死に方」であり、「極上の死」である、と私は思う。「変死」という「通常の死」もまた、「動物として死ぬ」「自然死」に近く、悪いとは言えないが、それを「畳の上」(ベットの上、布団の中)で往生できるなんて、「男たち」にとっては、夢のような物語ではなかろうか。戦場での生き地獄、極道の闇世界を「生き抜いた」男性は、「自分の人生を『黒』から『白』にぬり変えたい」という。「動物として死ぬ」だけでなく、「人間として死ぬ」、かけがえのない「証言」として、ひときわ光彩を放っていた。
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